〒456-0054 名古屋市熱田区千年一丁目8番53号
〜奥さんの一言〜
当社に営業その他ではじめて来社される方がご挨拶替りに“「森部組ハツリ」さんのハツリの意味が分からないのですが?… どのようなお仕事をされているのですか?”と異口同音に質問されます。 そんな時、私はノートに漢字で「斫り」と書きます。 石辺に斥をつけて、ハツリと読みます。40年ほど前は車の看板に「斫り」と書いた時もありましたがなかなか難しい字のため、読めない方々が多勢みえました。 そのようなことがあり、誰にでも読める“ハツリ”に文字を替えました。 日本では昔から木造建築の文化が主流でした。 当社が“ハツリ”の仕事をはじめたのは、昭和30年頃でコンクリートの建物は少なかった時期でした。コンクリートの建物を作るには、生コン打ちをする前に型枠大工さんが型枠を設計どおり作り、その中に生コンを流します。その頃の仮枠の材料は現代のように厚い良質なコンパネや専門的な用語で恐縮ですがメタルホームなどではなく木製でした。 生コン打ちをした後、生コンの勢いが強いため、「壁がふくらんだ」とか「はらんだ」とかいう言葉が頻繁にきかれましたが、今日では殆どそれはきかれません。 創業当時は不運な現場になると建物を新築しているのか、はたまた壊しているのか分からない状況が少なからずありました。そうした状況のもとで、ふくらんでしまった壁を削り取る仕事を「斫り」といっておりました。 当社は、創業当時はコンプレッサーもなく大ハンマーと手ハンマーの肉体労働作業に明け暮れていました。社長をはじめとして当社の職人さん達は、毎朝2食弁当を持って現場へ向っていただいていました。 現在は、東京オリンピック当時の建物が老朽化によって立て替えの時期に来ているようですし高速道路や地下鉄などを作るために、永年に亘って愛してきた建物を撤去するというような問題が出ています。 当社は、出来るものならコンクリート構造物の取りこわしのエキスパートを目指していきたいと願っております。例えば、大きなコンクリート造りのビルを壊そうとしますとその周囲にどのような方々が生活されているかが問題になります。コンピュータ制御のビルや精密機械の製造会社、眼科医、歯科医、食品の店、また、一般家庭などの状況を十分把握しなくてはなりません。 当社は当社の誇る技術力、機動力と工事予算との調和を保ちながら難しい現場に取組んでいます。 これが無事に成し遂げられた時こそ、社員一同生きていることをひしひしと実感しながら男のロマンに耽けることができるというものです。 まだまだお話したいことが山ほどありますが、当社の会社案内をご参照いただければ幸福です。 以上 森部朝子 |